プロフィールProfile


 1989年、16才でダンスを始める。ハマりすぎて大学は諦め、父親の会社で働き始めるも、暫くして、自分が社会不適合者である事を自覚し退職する。
その後、実質3浪して大学へ入るが、二年生の時、履修登録へ行くのを忘れ一年間講義が受けられないという非常事態に。『ピンチをチャンスに。』と意味不明な事を言い放ち、最も尊敬するダンサーGIZMOに師事するため、カナダのトロントに一年間留学する事を決意。GIZMOと同じチーム「BAG OF TRIX」のメンバーとして活動する。

 帰国後、TVで見た「ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断した猿岩石」の影響をうけ、バックパックを背負って北米から南米まで陸路で南下していく旅に出る。旅の途中、生存報告のため、実家へ国際電話をかけると、父親が他界した事を告げられる。死後より既に10日間が経っており、葬式も通夜もすべて終わっていた。

 父親の死目にあえなかったというショックのあまり、ダンスをやる気力も無くし、秘めていたオタク気質が発症し、フィギュア収集にハマりだす。バイクで日本を縦断しながらビンテージフィギュア発掘の旅に出たり、インターネットの交換掲示板を駆使したりして、コレクションを増やしていく。(ネットの回線使用料の請求額が8万円になり酷く叱られる。)

 欲しいフィギュアを全て集め切ると、日本では発売されていないアイテムを探し求め、香港や韓国、アメリカにも買い付けに行くようになる。また、作品造りにも没頭し、専門誌にプロの作品と並んでフィギュア製作例として紹介されるまでになる。
26才になり、仕事を探すも普通の職には就けないので、知識を買われてスカウトされたオモチャ屋で働く。

 志し半ばでやめていたダンスを復活する。日本最大のHIPHOPのブロックパーティー「B-BOY PARK」のCREWバトルで、全国から集まる強豪を倒して優勝する。翌年、世界大会へのキップをかけた日本初開催「battle of the year」の全国大会で優勝し、ドイツで行われた世界大会では日本CREW初となる準優勝と、更には「ベストSHOW賞」も受賞する。

 28才の時、アメリカのB-BOY CREW「HAVIKORO」の映像を見て度肝を抜かれ、突然退職して単身渡米。HAVIKOROのメンバーとして認められ、活動を始める。アメリカ有数の大会「PRO-AM」や「FREE STYLE SESSION」「B-BOY CITY」などに出場し、優勝・入賞する。アメリカ限定のフィギュアを日本のネットオークションで売りながらギリギリの生計をたてるが、一年して資金も尽き帰国。

 国内でも最も高レベルの大会の一つ「3度の飯よりBREAKING」での二連覇や、イギリスで行われた世界大会「UKチャンピオンシップ」に「JAPAN ALL STARS」として出場しBEST4に。その後も審査員をするなど、積極的にダンスに携わる活動をし、2003年、潔くダンスに見切りをつけて引退する。

 29歳の時、暫くネットゲーム中毒になり、一年間ニート生活を送る。このまま30歳になってしまうことに焦りを感じ、一念発起し、借金して起業するも、無計画すぎて大赤字が続き、出店した事を泣いて後悔する。無休で働き、ようやく一年後に軌道に乗り始め、2号店を出店する。
しかしその矢先、二人三脚でやってきたパートナーに騙されて、2千万円の負債を抱える。通帳残高も0すれすれになり、資金ショート寸前の状態を繰り返し、だましだましの経営が暫く続く。諦めずに死ぬ気で踏ん張り、紆余曲折ありながらも、現在では11店舗までになる。

 

 自転車で世界一周をした冒険家の本がきっかけで、父親の死により志し半ばで終わっていた中南米の旅を思い出す。どうせなら自分も世界一周の旅に出よう、と計画を立てるも、会社を経営していることを考えると自分だけの問題でもなく、非現実的であるという事実に直面する。

 そんな悶々とした日々を送っている中、35才という年齢にもなってエクストリーム一輪車というマイナーなスポーツにハマってしまう。仕事が終わった深夜から、毎晩休まず夜な夜な特訓を続ける。約2年後には欧米諸国をはじめ、世界で発売された映像作品への出演オファーを受け、世界36人の一人に選出され、日本人代表として参加する。海外で行われていた大会にも積極的に参加し、海外で最も大きなチーム「Team UnicycleTV」のメンバーにもなる。

 長い期間をかけながら計画を立て、家族や会社のスタッフの協力のもと、世界一周の旅へ出発する事が現実に近づく。しかし、出発直前に、東日本大震災が発生し、千葉の店舗が液状化により半倒壊し営業不能な状態になり、さらには、秋葉原本店が入っていたラジオ会館も老朽化による建て替えで立ち退き要請が出る。他店舗も、日本人の客はもちろん、外国人観光客も皆無になり、売上も立たず、起業してから最大のピンチを迎える。

 その後、様々な問題を解決し、満を持して世界一周の旅へ出発する。約一年間をかけ、42カ国 121 都市を周る。これまでに訪れた国は62か国。
帰国後、日本人のパスポート保有率が僅か23.5%という事実に驚愕し「旅で得られる可能性」を広めるため、旅∞(たびはち)プロジェクトを発足し、旅人プロデュース、フリーペーパーの発行、シェアハウスの運営などの活動をはじめ、恵比寿ガーデンホールを貸切って旅好きが集まる旅8フェスも主催。
2014年には、旅人を繋ぐコミニティ空間としての「旅カフェroot」をオープン。しかし、旅カフェではイマイチ商売が成り立たず、赤字続きの現実に直面する。思い切ってビストロ業態に180度方向変換し、任せていた店に自分も立つようになり、数カ月間かけて軌道に乗せる。その一年後、ゲストハウスをすべく新たな物件を契約するも、建物の構造上、宿泊業の許可がおりない事が発覚。途方にくれるも、悩んだ末に飲食店2店舗目となる「ラテンバル ボケリア」をオープン。
結果的に飲食店の楽しさにどっぷりハマり、更にその1年後には、3号店となる「熟成肉の店me at park」をキリン本社ビル一階にオープン。4店舗目となるイノベーティブフレンチレストラン「kufuku」を秋葉原にオープン。
飲食店のプロデュース業もスタートし、アンドホステル秋葉原店の一階にたこ焼きバーをオープン。

 41歳の時、仕事ばかりで面白い事にチャレンジしていない事に気付き、思い付きで台湾529キロを一輪車で二週間かけて縦断する。

 2020年現在、「オヤジでもベンチャー」を合言葉に、新たな仲間達と共に、新商材の開発やアプリの開発に挑戦中。